聲の形

最初は茫然自失。なんの言葉も出てきませんでした。 数日間の情報を聞くうちに、ああ、本当になくなってしまったのだという思いが、現実感を伴って胸の内に重く沈み込み、 週末の晩に一人、いてもたってもいられず『聲の形』を再度、観ました。 人と人とがコミュニケートすることの、遠さ、難しさ、哀しさ。 ともすればたやすく人を傷つける、表情、感情、言葉、手紙。 繊細で壊れやすい、それでいて希望をはらんだ十代の春夏。 とどきそうで届かない、そうであってほしかったあの頃が、 工芸品のように美しい細部の描写とともに展開されてゆきました。 この原作の貴重な原画もセルも、アニメーションに多くを託して、創作に励んでいたであろう無垢で貴重な多くの人命と共に、剥き出しの暴力によって無残に失われてしまいました。 今は慎んで哀悼するしかありません。