お知らせ

院長日記 2008/11/26

無限プチプチ

無限ぺりぺり

みなさんは小包や引っ越しの時に使う小さな空気の袋がたくさんくっついた梱包材をご存じでしょう。なぜだか、あのプチプチをつぶしだすと止まらなくなって、ひとシート頑張ったという人も多いのではないでしょうか。あの手触りを商品化して発売されたのが、無限プチプチです(写真左)。
やりだすと何とも止まらないうえに、10回、100回と回数クリアのたびに「ピンポーン」とか「わんわん!」などとさまざまな音が出る。話によると1000回、10000回でしか聞かれない音もあるそうですが、私はいまだ聞いたことがありません。
ひたすら、理性的であるべき人間様を、何ともいえぬプチプチ感と新たな音をもとめつづけるパブロフの犬へと変貌させてしてしまうという、おそるべき代物です。
この商品には進化形もあって、たとえば「無限プチプチ メイド編」などになると、回数クリアのたびに「おかえりなさい、ご主人様!」その他、ここに書きだすのもはばかられるセリフを述べ立てる(そうである。1万回押すと、いったい何が聞けるのでしょう…)

このように「無限」シリーズのおかげで本能の犬へと化身させられたわが家族に、最近新たな商品が加わりました。息子の発見してきた、その名も「無限ぺりぺり」…
簡易小包をはがすときにあけ口などに使われる、紙製の破り取るファスナーのようなものがありますが、この感触を再現した最新のグッズなのです(写真右) 引っ張ると「びりびりびり」というあの感触がみごとに再現され、「ぱんぱかぱ〜ん」などと鼓舞する音も高らかに… う、う、止まらない…

開発者恐るべし。

院長日記 2008/11/21

医師は非常識

麻生太郎とかいう男が、先日われわれのことを「非常識な人」と発言したそうである。では、その根拠は何かというと自分の知っている医者は、非常識な人が多いからということだそうである。つまりは、ほとんど何の根拠もないご自分の偏見ということであろうが、なんでもうわさに聞くと、この方は総理大臣をなされているそうであるから、公の場でおこなわれたこの発言は全国の医師および、医療行為に対するいわれなき批判、いや「攻撃」である。
その後、ご本人はこの発言を撤回されたそうであるが、「イヤー言い過ぎちゃったよ。ごめん。ごめん。」ではすまないのである。
それは一国の政府を代表する人物からの発言はそれなりの重みを持っているのは当然だからである。(まあ、いやになればテキトーに国民を投げ出すような政府なので大して重くはないのかもしれないが)
わたしは精神科の専門医になるまえ、内科や麻酔科に所属したことがあるので、総合病院の大変さもよく理解しているつもりであるし、一般開業医なりの苦しさも理解している。ほとんどの医師は善意の医療を目指して尽力しているのである。
そもそも、医療体制がここまで悪化したのは、まったく現場を無視した政府の「医療構造改革」と、いったい何に使っているのかわからないが毎年ガンガン削られていく社会保障費の影響なのである。
今の政府は、自分らの愚策から一般市民の目をそらさんがために、まるで、非常識な医師が群れをなしてこの国を食いつぶそうとしているかのような印象を与えたいのではないかと疑いたくなる。

いわれのない「攻撃」には、断固として反論しなければいけない。

・・・わたしとしては、楽しい話題の提供の場である「院長日記」に仕事と政治の話を持ち込みたくはないのですが、あまりにもひどい政府の発言に一言物申したいと思いました・・・

院長日記 2008/11/17

惜しい人がまた一人…

アメリカの作家、M.クライトンが先日亡くなった。66歳であったという。作家としてはまだまだ活躍できる年齢であったと思うと大変残念である。翻訳最新作の「NEXT」が遺作の長編となるのであろうか。

まだ中学生の頃に映画「アンドロメダ病原体」にいたく感激して、すぐに図書館で原作を読んだ。従来のSFと異なり、臨床データ、図表や写真を多用した経過報告書のような体裁をとった文体は斬新で、一気に読んだことを覚えている。「ターミナルマン」「ジュラシックパーク」「タイムライン」など、最新の科学情報をベースにして、スピード感のある文章で読み手をとんでもないホラ話の中に巻き込んでしまう腕前は、最新の国際情勢を下敷きにしてスリリングなノンフィクションを作り上げるF.フォーサイスにどこか共通していると思う。

亡くなったA.アシモフ、A.C.クラークが黎明期の語りのSF作家だったとすれば、クライトンはスタイリッシュで近代的なデジタル世代のハードSFの作家であった。 ファンとしてはとても悲しい。

院長日記 2008/09/26

はげ

旧ソ連時代の共産党書記長が歴代、交互にはげであったことは有名な話である。ツルツル、ふさふさ、ツ ルツル、ふさふさというように。そして、最後の共産党書記長であった有名なゴルバチョフがツルツルで あったことを最後にこの伝統はついにソ連邦とともに終焉したのである。
私の父親の家系も、実はこの法則にのっとっているらしい。私の祖父は80歳を超えるまで存命していたが 、遺影を見ても髪はふさふさである。そのかわり、私の父はツルッパゲで今は髪もほとんどない。父親の 髪の変遷を写真で見ると、30歳ごろからもうはえぎわが頭頂部まで後退している。
父親の頭を見ながら私は30を超えたころから、はげ恐怖に怯えつつ生活していた。しかし、自慢ではない が45を超えた現在も緑の黒髪はふさふさである。やはり、わが家系は隔世遺伝であったのだ。
・・・ということは、息子の頭の運命は決まったも同然である。

勝った!

院長日記 2008/09/24

がらんどう

「がらんどう」という言葉がある。子供の頃ゴミ捨て場に捨てられていたドラム缶の暗い底を覗き込みながら、ドラム缶をたたいてみた時のそのうつろなひびき・・・そのとき私は「がらんどう」という言葉のもつ無=死の不気味さを強く実感した。

 あの総理大臣が突然辞任を表明したときに私が感じたのも「がらんどう」という感覚だった。
 疲れたとか政権運営がうまくいかないからという理由でいとも簡単に国民をすてさるその異常な感覚。
本人は自分が国民の代表であるという感覚などないのかもしれないけれども、張りぼてとはいえ、選ばれた以上は国民の代表には変わりのないはずである。米国の大統領が仕事がうまくいかないからという理由で辞任するのを国民は許すであろうか。

このニュースに接した時に一番初めに感じたのは無責任とかやるせないとかいう感覚よりもまず先に、この国の中心には巨大な「がらんどう」の空間があるのだということであった。
 君らとは違うんだ、という言葉一つで一国の代表から捨てさられる国民は一体何を信じればいいのだろう。巨大ながらんどう空間の淵から虚無の空間へと墜落していくような不気味な感覚だけが私の中に残っていた。

院長日記 2008/08/07

皇太郎とバナナ

2年前に名犬ポッキーがうちに来る前、6日間だけ小さなミニピンが一緒に暮らしたことがあります。
名前は皇太郎。とてもか弱くて、6日目に動物病院で心不全で死んでしまったのでした。

たった6日の命。あまりにもはかなくて、悲しむ長男を見ながら、飼ったことをとしばらく悔やみました。
その後間もないうちに新しいミニピンがやってきて、家族の関心は、たちまちそちらにに移りました。私も極力皇太郎の話はせず、長男もそのうちにほとんど幸太郎のことは忘れてしまったようでした。家の仏壇の片隅に忘れられたようにひっそりと置かれた幸太郎の遺灰が彼がかつて短い間の家族であったというわずかな証となりました。

せんじつ、ふと見ると皇太郎の遺灰の前に一本のバナナが置かれていました。
それは、長男が、立ち寄ったペットショップで自分から買い求めた犬用のおもちゃでした。
皇太郎の命日すら忘れていた私とは違って、長男は2年もたつのに、たった6日しか一緒に暮らせなかった子犬のことをしっかり覚えていたのでした。
ほとんど話題にすら出さないくせに、ほんとうはちっとも忘れたことはなかったのでした。

私はただ、仏壇の前で「ありがとう」としかいえませんでした。

過去の不幸な出来事として、できるだけそれに触れないようにしてきた私。
しかし、その間に長男は生と死についての貴重ななにかを、誰にも語らないままに学んでいたのでしょう。かけがえのない何かを・・・

皇太郎、ほんとうにありがとう。